[A] Across The Universe -64ページ目

Happy Halloween!

「激動の」と言っても良い10月も今日でやっと終わり。
今日はハロウィン。 Wikipediaによると、


ハロウィン(Halloween)は、キリスト教の諸聖人の祝日「万聖節」の前夜祭。10月31日の夜に行われる。万聖節の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった。 ケルト人の収穫感謝祭がキリスト教に取り入れられたものとされている。ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。

と言うことだ。

私の学生時代、ハロウィンはまだそれほどメジャーなイベントではなかった。
スナックでウェイターのバイトをしていたとき、お客さんにお店の女性が「今日はハッピー・ハロウィンですね!」と言ったときの、お客さんの回答

「そうか、家に帰ったらカボチャと小豆を煮なきゃな」

一瞬の沈黙の後、爆笑の渦。

そう、冬至カボチャと思いっきり間違えていたのでした。懐かしき日々。



いろいろあった10月なので、雨のことや、新潟の地震のことや、天皇陛下のお言葉のことや、人質事件のことなどを書きたいけれど、明日から新しい11月が始まりますし、最後は楽しい話題で。

かんべえさんの溜池通信からネタをいただいてきました。

ご当地の踏絵でお楽しみください。

私は北海道出身なのですが、ハマリまくりで楽しいやら懐かしいやら。
「道産子チェック」で、北海道出身者ならではの話題をいくつか

・カツゲンが大好きだ。
・とうもろこしのことを「とうきび」と言う
・たとえ夏だろうが肌寒いと感じたら暖房を入れる事をためらわない。
・桜が咲くのは5月があたりまえだと思っている。
・犬が滑って転ぶのを見たことがある。
・交換して欲しい時の言葉は「ばくって~」だ。
・盆踊りといえば「子供盆踊り」と「北海盆踊り」
・「ひっかく」ことを『かっちゃく』という。
・エゾシカに汽車もしくは自動車を止められたことがある。
・「ジャンボ」といえば、尾崎ではなく秀克に決まっている。
・ママさんダンプが何か知っている。
・でかい石油タンクが屋外にある。
・瓦屋根を見ると「本州」を感じる。
・「いずい」と「はんかくさい」は標準語に訳すことが困難だ。

これでも当てはまるうちのほんの一部。

みなさんも出身地の踏絵を楽しんで、職場のネタにでもしていただきたく。

もれ出づる月

秋風に たなびく雲の 絶え間まより
もれ出づる月の 影のさやけさ


百人一首から左京大夫顕輔の歌。新古今和歌集からの選。


今日の月は透き通るようにきれいだ。


月は28日周期で地球を回転する。月の引力から潮の満ち干きも28日周期。女性の体も28日周期。水に囲まれた星、地球の海を羊水だとたとえれば、われわれ人類は胎児のようだ。

小さい頃親に教えてもらった月は、本当に兎がもちをついているように見えた。こんなに月は小さかったか。子供の頃はもっと大きかった。

Matrix

ちょっとスゴいものを見つけたので。

だまされたと思って、少し画面から離れてこちらのサイトをご覧下さい。

ね? スゴいでしょ??

いきるちから

まず、新潟中越地震の被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます。

その地震で行方不明になっていた母子3人のワゴン車の中から、2歳の男の子が92時間ぶりに救出された。お母さんは亡くなってしまったが、10/27 11:00PM現在、3歳の女の子の救出作業は続いている。どうか女の子も無事に救出されますように。

男の子は頭に傷があり、脱水症状だったようだが、他に異常は無いとのこと。埋もれた車の下に空間があり、そこに避難していたのだと言う。92時間、雨が降り、気温も低い中、よくもこれだけ耐えて頑張ったね。きっとお母さんの魂だけはそこに残って男の子を守り続けたのでしょう。とにかく、奇跡的な救出劇です。余震が続き、二次災害も懸念される中、救出作業を続けている消防隊のみなさんにも頭が下がります。新潟に日本中から優しい気持ちが降り注ぎますように。

その日本中からの優しい気持ちが、人手不足のために倉庫に山積みになっている。救援物資が続々届いているが、県側の人手が足りずに被災者に行き渡らない事態になっている。まさかボランティアの到着を待っている、なんてことがあって良いはずがない。こういう非常事態に全国の公務員が「徴兵」ならぬ「徴公務員」を行って、新潟に出向く事はできないのだろうか。もしそうなれば、各地方自治体の事務には影響がでることは想像に難くないが、それはわれわれ納税者も気持ちのボランティアをしていると考えて、しばらく我慢することはできないだろうか。

窓口業務が滞ったとしても、アナウンスで「ただいま、当市役所では新潟中越地震救援のため、多数の係員が新潟に出張に出ております。その関係で窓口業務に遅れが出ており、皆様には大変ご迷惑をおかけしております。大体一人2分程度の事務の遅延が予想されます。どうか皆様にはご理解いただき、新潟の被災者の方々に対して一人2分間の心のボランティアをお願いいたします。」と言ってもらえれば、納得する利用者も多いだろう。地方自治体毎に財源が違うことが問題ならば、毎年各自治体が災害対策費を積み立てて全国で一つに取りまとめ、その中から費用を捻出すればよい。その費用は当然税金から出ているため、自然、毎年募金の積み立てをする事にもなる。

無理な話だろうが、何もできない東京の片隅でそんな事を考える。

ダ・ヴィンチ・コード

10月10日に書いた「フィボナッチ数列」でも触れた「ダ・ヴィンチ・コード」。

先日じっくり味わい尽くして読了した。キリスト教にも、ダ・ヴィンチにも造詣が深くなくてもストーリーを楽しむのに全く問題はない。どころか、宮部みゆきの作品に良く見られる溢れんばかりの「うんちく」も鬱陶しさは皆無でグイグイと筋に引き込まれる。まさに推理小説のエンターテイメントと、知的好奇心を満たす「人に教えたくなる話」が同居する、稀有な本だ。
キューブリックのアイズ・ワイド・シャットが、ディズニーのリトルマーメイドが、ライオン・キングが、聖杯伝説にどのようなつながりがあるのか?
高村薫、桐野夏生など社会派推理小説も良いが、純粋に謎解きを楽しみたいならまさにうってつけ。

作者のダン・ブラウンは両親が数学者と宗教音楽者。奥様が美術史家で画家。なるほど・・・
現在ソニー・ピクチャーズが脚本化の真っ最中とのことで、遠くない将来映像でも楽しめそうだ。

星5つ★★★★★

自分を愛するということ

自分を愛するということが良くわからない。
自分を愛することができなければ、他人を愛することができないと言う。果たしてそうなのだろうか。私には娘がいる。心から愛していると言える。しかし、自分を愛しているかと聞かれれば、愛しているには程遠いと答える。
私は自分の存在を肯定する。生きる義務を感じるから。ただし、自分を愛してはいない。
では自分が好きか。好きな部分もある。でもその自分の「ある部分」を好きだと思ってしまう自分が嫌いだ。
嫌いだと思うことが多い反面、人間なんてこんなものだと冷めた目で見る自分がいる。
ほんとにみんな自分が好きなのか?愛しているのか?そう自信をもって言えることを気持ち悪いと思わないのか?

薄っぺらなプラス思考とやらも嫌いだ。
プラス思考なんて、マイナスを経験した人にしかわからない「感謝の気持ち」ではないのか。


親の子供への愛は無償の愛だと言う。人間であれば最低限持ち合わせている愛情であると思う。そんな最低限の愛情さえ持ち合わせない人間が多い世の中だ。

Superman

今日の朝日新聞の社説は、先週亡くなったSuperman クリストファー・リーブについて。

落馬事故により全身が麻痺する。その後懸命なリハビリにより、事故後2年以上たつと機能は回復しないという常識を覆し、5年後に手足が動いて感覚が戻ってきた。

社説はこう終わる。

「身体の不自由さで人生に枠をはめられたくない」。リーブ氏の信念は、すべての障害者に共通する。そのために堂々と努力してみよう。社会はそれを支えてほしい。マントを脱いだスーパーマンはそう語り続けている。

しかし、日本にも星野冨弘がいる。
赴任したばかりの中学校で、体育の授業中の事故により首から下が麻痺したにもかかわらず、現在も口のみで絵画、詩の創作活動を続けている。
彼はその絵と詩によっていつも私を勇気付けてくれる。

私は精神的に参ったときや、どうしてもやるせないとき、いつも思い出す彼の詩がある。



喜びが集まったよりも悲しみが集まった方が幸せに近いような気がする

強いものが集まったよりも弱いものが集まった方が真実に近いような気がする

しあわせが集まったよりもふしあわせが集まった方が愛に近い気がする



星野冨弘はわたしにとってのSupermanだ。

Autumn in New York

雲ひとつ無い秋晴れの午後、娘と遊んだ。
無邪気な笑顔と笑い声を聞きながら、この情景こそ私にとってのAutumn in New Yorkだと思った。冬を予感させる日差しとシンと澄んだ空気と愛する娘。

私の中で勝手に作り上げていたMJQのDjangoに収録されているAutumn in New Yorkは、秋晴れの夕暮れ前にセントラルパークのベンチで読書をしている初老の男性。

今日、その曲が自分の中の記憶の1ページとして確かに刻まれた気がする。
30年後この曲を聴いてもきっと思い出す事ができる。
秋の日の黄色い一輪車と赤いボールと娘の笑顔を。

hangover

学生時代の友人が富山から出張でやってきたので、銀座でハジけた。何時に家に帰ってきたのか、全く覚えていない。タクシーで帰ってきたのは覚えているのだが・・・

そんなわけで、ひどい二日酔いで今日は一日寝ていた。

二日酔いとは、アルコールを飲むことにより引き起こされた急性中毒が翌日まで続く状態。アルコールは胃と小腸で吸収され肝臓に入ると、そこで代謝され分解される。二つの脱水素酵素と補助酵素でアルコールがアセトアルデヒドから酢酸塩となり炭酸ガスと水になる。
アルコールの量が多すぎたり体調が悪くて代謝が遅れたりすると、アセトアルデヒドが処理しきれずに全身の血中へ溢れだす。アセトアルデヒドは強い毒性があり、これが二日酔の主な原因になる。

アセトアルデヒドめ・・・

もういい年して深夜までカラオケでハジけるのはみっともない気がしなくもないが、学生時代のノリにすっかり戻るのもたまには良い。いい年したオヤジがカラオケ歌いながらハイタッチしていたのを思い出すと、少し頭痛も和らぐ気がする。

Waltz for Debby

今日はコレを聞いています。

Jazzファンには何も言う必要がないであろう名盤Waltz for Debby。スイングジャーナルの読者人気投票でマイルスのKind of Blueを抑えて堂々の1位になったBill Evansの代表作。
学生時代にJazzを聞こうとして、コルトレーンの「至上の愛」から入門したばかりにJazz拒否症に陥っていた私を救ってくれた感謝の名盤です。(今はコルトレーンは好きですが、至上の愛は今だに理解できません・・・)1961年6月25日、NYのヴィレッジ・ヴァンガードでのライブテイク。なので、音量を上げて聞くと食器の音や客のザワめきが聞こえてきます。

1.初めて聞いたとき、まず全体の曲の美しさに虜になる。
2.繰り返し聞くうちに1曲目のMy Foolish Heartがお気に入りだったのが、Waltz for Debbyを好きになり始める。
3.Waltz for Debbyを繰り返し聞くうちにスコット・ラファロのベースが気になりだす。
4.おっ、このベースリズムを刻むだけじゃなくて歌ってる!と感動する。
5.ベースとピアノの絡み合いが楽しくなる。

このようにしてインタープレイの魔術にはまっていったのです。
時々無性に聞きたくなり引っ張り出してくるのですが、今でも聞き直すたびに新たな発見があって、やはりBill Evansは奥が深い。このあたりが初心者にもDeepなJazzファンにも支持され続ける理由なのでしょう。この素敵なジャケットのシルエットは、「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンだと思うのですが、どなたかご存知の方はいらっしゃいますか?

ベースのスコット・ラファロはこのライブの11日後の1961年7月6日に交通事故で亡くなっています。この最高のベーシストの死をきっかけに彼の演奏は変化し始めます。同時に人生の歯車も狂い始めたのでした。


「スコットは僕の次の考えが読める信じられないような奴だった」
 Bill Evans